逆井城は中世城郭復元の先駆け
土で塗られた壁。侵入者を威圧する櫓。
現代によみがえった戦国の城、茨城県にある逆井城です。
外からその姿を眺めるだけでなく中の様子も見ることもできるのがスゴイです。
高さ11mを超える井楼矢倉にも登ることができ、当時の兵士たちの気分を味わうことができます。
逆井城は、平成になって始まった「中世城郭復元の先駆け」として有名。
当時「お城の再建」というと鉄筋コンクリート製が定番。
それを戦国時代風に、しかも木造での再建に踏み切るとは、ずいぶん思い切ったことをしたものです。
そのおかげであちこちに同じような城が再建されるようになり、私のような城好きがより楽しめるようになったのです。
当時の発案者にお礼を言いたいくらいです。
水に囲まれた城
逆井城はそれほど高くない台地の端にありました。
北側は大きな沼。西側には人工的に水を引き入れた入江のようなものがあり、城の防御だけでなく物資の運搬にも使われていたと考えられています。
戦国時代の逆井城は周りを水に囲まれた要害の地にあったのですね。
沼に面した側にあったのが城の中心「一曲輪」。城主の館などがあったのでしょう。
端の方に土塁の高まりが残っており、小さな門が再建されています。
曲輪を囲む堀の跡を歩くと曲がっているのがわかります。側面攻撃のための工夫ですね。
他に「二重土塁」(内側が外側より高くなっている土塁)の跡があるというのですが、私にはどこのことなのかよくわかりませんでした。城見学って難しいですね。
ここにはもともと地元の豪族による小さな城があったのですが、関東の覇者北条氏の城となってから大規模改修が行われました(このとき逆井城から飯沼城と改名)。
このとき城将北条氏繁は、藤沢から木材加工のプロである大鋸挽(おがひき)の職人を呼んだと伝わっています。
北条氏の領土の端に位置する逆井城ですが、戦への備えか、それとも力を示すためか、かなり力を入れて改修されたようです。
最大の見どころ「復元建築物」
一曲輪の外側、西二曲輪です。ここに逆井城一番の見どころ、復元建築物が並んでいます。
実は駐車場からすぐのところにあり、見学は楽です。
これらの建物は、戦国時代をイメージして復元(想定復元)されたもの。
発掘調査の結果に基づき建物の平面の大きさについてはかなり正確とのことです。
ただその上の建物の部分は想像の割合が多いかと。このころの建物の姿かたちを伝える図面や古写真は残っておらず100%正確に復元するのは無理です。
ただ、逆井城では同時代の資料を基に慎重に復元されているとのこと。「戦国時代の城ってこんな感じだったのだろうな・・」と十分感じさせてくれるものであることは確かです。
城に入る橋。わざと斜めに架かっているのは城内から攻撃しやすくするためです(筋違橋)。
周りの塀に設けられた狭間から弓鉄砲で攻撃されることを想像すると足が止まります。(橋を下から支える柱の石は当時のものが使われているらしいです。)
左側に建つのが二層櫓。逆井城でいちばん大きな建物です。お寺のような建物(大入母屋おおいりもや)の上に物見を載せた姿。
壁の下の部分は板張り。雨が降っても直接壁に水が当たらないようになっています。
これらの板も、氏繁が招いた職人たちがつくったのでしょう。
表は窓が多く、一階の下には鉄砲用の四角い狭間が顔を覗かせています。敵を攻撃するためですね。
裏は窓が少ないです。
櫓の中に入ることができます。一階部分は広い空間。普段から戦いに備えて武器などが置いてあったのでしょう。
戦いのときはなかなかのクラスの武将がここで指揮をとったのかもしれません。
二階にも上ることができます。階段はかなり緩いです。
このあたりは見学のしやすさを優先したのでしょう。
最上階は外に出られるようになっているのですが、私が行ったときは風のせいか、それとも時間のせいか、扉が開かなくなっていました。
ここからの景色は見たかったのですが、残念です。見学は早い時間をお勧めします。
高さ11mの井楼矢倉の上は「恐怖」
ハシゴのような形をした井楼矢倉。戦国時代に多く使われたタイプです。
役割は高い場所から戦いの状況を掴む物見などです。
そのため高さは11mを越えます。上から弓を射ればその威力は倍増したことでしょう。
この矢倉にも登ることができます。
ぐるぐる回る階段。頭上に高さがないところがあるので注意してください。
当時はこのように簡単には登れず、ハシゴなどを使ったのかもしれません。
正直怖いです。矢倉自体の安定感なさそうな形が不安です。
突風が吹いたらまるごと倒れるのではないかと心配です(実際は井形に組んだ木材を柱にはめ込んでいて丈夫なつくりだそうです。)。
現代の建物なのでちゃんと金属の筋交が入っているのですが、当時は登るだけでもっとグラグラ揺れたのではないでしょうか。
矢倉の一番上は高いだけあって眺めは最高。すぐ下にある堀の中までよく見えます。
ただ、落下したら命はなさそうです。
周りを囲む板は盾をイメージしているのだと思います。
スペースは狭く、何人もの兵士が弓を放つことはできなかったのでしょう。
敵の前に身をさらしている感じが強く、上り下りの最中に攻撃されたら嫌です。
先ほどの二層櫓と比べると不安が大きい。私が兵士なら井楼矢倉への配属は希望しません。
建物の中に身を隠しながら窓から攻撃できることのありがたさがよくわかります。
驚くのはこの井楼矢倉が「移動式」だったかもしれないということ。
車輪などをつけて必要な場所まで動かして使うようです(攻城兵器として使われることは多かった。)。
ただ上に乗ったまま移動されたら、兵士たちは相当怖かったと思います。
ほかにもある!移築門と復元御殿
関宿城(せきやど)で使われていた門。貴重ですね。
奥の建物は堀之内大台城(ほりのうちおおだい)の発掘調査結果をもとに再建された主殿です。
大台城は常陸を統一した佐竹氏が築いた城で、関東の城に豊臣系の城の要素が組み合わさる興味深い時期のものです。
わずかな期間しか使われず、その時代の様子がとても良くわかる城の跡だったですが、残念ながら山ごと消失してしまいました。
残っていたら私は絶対に見学に行っていると思います。
まったく別の逆井城に再建されていることについて少し複雑な気持ちになりますが、その姿を見ることができるのはありがたいことです。
撮影が楽しい「逆井城」
逆井城でのおすすめは撮影。車を停めてすぐのところに、大河ドラマのような建物が並んでいる場所はなかなかありません。
私のほかにも熱心に撮影されている方もいましたので、好きな方なら一日中楽しめると思います。
私が行った日は曇りと晴れの入れ替わりで、雲がかかった暗い雰囲気と青空バックのすっきりした雰囲気で撮影することができました。
逆井城に行くと「戦国イメージ」がもらえます。
戦いのための城がどのような姿をしていたのかを想像する力です。これがあれば土塁と空堀だけの城の跡であってももっと楽しめそうですよね。