こんな暮らしをしていたらダメになる?朝倉氏の館へ
復元街並みから川を渡ったところにあるのが朝倉氏の館跡です。
館の周りは堀で囲まれ土塁による防御がされており櫓もあったと伝わります。
朝倉家の戦国大名らしい一面を感じますが、一歩門をくぐるとそこには京の都の御殿のような建物が軒を並べていました。
10を超える建物は廊下などで結ばれ、遠侍、主殿、会所、台所などそれぞれ目的によって分けて使われました。
屋根は板か檜皮葺(ひわだぶき)。木のしっとりとした雰囲気で統一されていたのでしょう。
中心となる御殿では足利義昭の元服の儀式も行われたようです。
面白いのは中庭に花壇が設けられていたこと。
現代では花壇なんて当たり前のものですが当時はいつ戦いに巻き込まれるかわからない戦国の時代。のんきなことはしていられません。
草花を植えそれを愛でる心の余裕が朝倉氏にはあったのでしょうか。
小座敷から反対側に目を向ければ山を背にした庭園が見えます。石組みと曲がり池による庭園は本格的で、裏山に続いています。
池の水はトンネルや水路を通って裏の山から流れてくる設計に。凝っていますね。
本当に戦国時代なのと疑ってしまいます。
朝倉氏の館はこの谷間の中で何度か移転した可能性がありますが、この館は5代義景のときのもの。当時と同じものを眺めているのですね。
朝倉舘を囲む館群も必見
朝倉氏舘の南にあるのが諏訪舘。
義景の妻、小少将(こしょうしょう)が住んでいたと伝わります。
高台にあり、遠くに見える土塁は上城戸です。
ここには一乗谷最大級の庭園があります。なんと二段になっていて4mをこえる大きな石が使われています。優雅すぎますよね。
諏訪舘と朝倉舘の間にあるのが中の御殿。義景の母の屋敷です。
ここからは一乗谷の街並みがよく見えますね。
山を背にした場所に庭園があります。
さらに朝倉舘の東側、一段高い場所にある湯殿跡、朝倉家の子女が入る尼寺、南陽寺にも庭園がありました。
庭園だらけです。ここはいつ襲われるかわからない戦国の世とはちょっとかけ離れた世界。
一乗谷の東の丘は朝倉一族の館が立ち並ぶ一等地。周りの山々に囲まれた城下を眺め、庭園の木々を見て季節の移り変わり感じる。
このような風情ある暮らしをしていれば、他国に撃って出ようという気も失せてくるかもしれませんね。
そんな朝倉家はどうなったのか。
続きは次回紹介します。